1977-05-12 第80回国会 衆議院 地方行政委員会 第20号
それから内務大臣をなさっていた木戸さん、それから同じく内務大臣の後藤さんですね、それから企画院総裁をなさっていました鈴木さん、満州国の総務長官をなさっていました星野さん、この方々の恩給は一体どれぐらいになっておりますか。私どもの方では一昨年の数字は持っておりますが、現在どういうふうになりましたか。
それから内務大臣をなさっていた木戸さん、それから同じく内務大臣の後藤さんですね、それから企画院総裁をなさっていました鈴木さん、満州国の総務長官をなさっていました星野さん、この方々の恩給は一体どれぐらいになっておりますか。私どもの方では一昨年の数字は持っておりますが、現在どういうふうになりましたか。
○三谷委員 そうしますと、大臣の経験者が二百五十五万とおっしゃいましたが、一昨年の調査で、たとえば星野大臣ですと二百六十万、木戸内務大臣ですと三百六十万、後藤内相ですと二百五十万、鈴木企画院総裁で三百十万、こういう数字が出ておりますが、今度は下がったのでしょうか。
その結果かどうかわかりませんが、実は最近経済企画院総裁の名前でそういった日本の経済協力のあとを振り返るようなパンフレットが先方で出版されておるということも聞いておりますし、先ほどおっしゃいましたように、浦項の製鉄所の竣工式の際には、日本の経済協力について大統領が相当長い時間をさかれたということもございまして、新聞にはあまりキャリーされませんでしたけれども、そのとき、浦項の職員並びに列席の相当多数の韓国人
その前の話でございますが、近くIECOKというものが開かれるようだけれども、その際の日本の態度はどうかというような質問に対しての返事であったわけでございますが、その際、そのIECOKにおいては韓国側から経済企画院総裁で副総理でございます太完善副総理が行かれて韓国の経済情勢の御説明等があるはずだ、それに対してまた世銀も調査団を送って調査をしておるので、世銀からも韓国経済についていろんなコメント等があるはずで
○御巫政府委員 ちょっとことばが不足して申しわけございませんが、IECOKの会議には従来とも、韓国側からは経済企画院総裁、現副総理が出席されて、韓国の経済情勢等について説明をされるのが慣例でございますので、そこで述べられます韓国側の経済情勢の説明、またそれに対する世銀の調査団の報告等は重視してきておったわけでございまして、その点につきましては今後も変わらないということでございます。
今日の経企庁なんというものは、戦時中の企画院総裁がやっておるのとまるっきり一緒なんです。道路を一つ直すにしても、あるいは鉄道を一つつくるにしても、何にしてもかににしても、経企庁のお声がかからなければ何もできぬような運輸行政で一体何をするのです。運輸大臣はこれについてどう思われますか。
それに金裕沢企画院総裁さえ最近は朴との間がうまくいかずやめさせられた。また、経済事情も極度に悪化して、国民総生産は朴政権になってからマイナスです。失業者が増大して李承晩、張勉内閣時代よりはるかにひどくなっている、こういうことを聞いております。そういう政情不安、さらにこうした朴の悪政に対して当然人民は立ち上がらざるを得なくなった。南北の統一を目ざす人民の闘争は非常に底から上がってきている。
昭和十二年には企画院次長になり、十四年には企画院総裁に就任をしておられますが、阿部内閣のもとにおいては大蔵大臣と企画院総裁を兼任されました。その間に、昭和十二年には軍需工業動員法を実施しておられるのであります。同じく十二年の九月に臨時資金調整法が公布せられております。
あまり長くないからお許しを願って読ましてもらいますと、「当地の権威ある観測筋は二十三日、荒木貞夫元陸軍大将、鈴木貞一元企画院総裁、橋本欣五郎元大佐など元A級戦犯がさきに戦時中の日本帝国政府の行動を賞賛した激烈な発言を行なったことはかえって〃現在服役中のBC級日本人戦犯の急速な釈放に対するアメリカの見解を硬化させるだけに役立つ結果になろう〃と語った。
そうしてひとしく働かされるということは、船員の立場があまりに捨てて顧みられざる立場であるために、私はこの問題を取り上げて議会で強く質問しましたときに、当時の企画院総裁でありましたか、船員に対する物資の配給のワクを忘れておったという。戦争の終るころまでワクがなかったのです。それがために何の配給も受けない。ようやくそれがわかって配給をされるようになりましたら、それはもう終戦の直前だったわけです。
これは太平洋戦争が始まりました時、最高戦争指導会議というものがありまして、その時に最高戦争指導会議のメンバ治は文官大臣としては外務大臣、大蔵大臣、それから企画院総裁三人であつた。通産大臣は無論入つていなかつたのであります。